カルティエ
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宝石細工師のルイ=フランソワ・カルティエがパリで小さなアトリエを構えたことからスタート、1904年以降には世界17か国の王室御用達宝飾店という名誉を誇るジュエラーとなったブランドです。
【カルティエの歴史】
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パリのモントリグイユ通りのアトリエでジュエリー職人として働いていた、ルイ=フランソワ・カルティエが、1847年にアトリエを引き継ぎ経営者となります。
1874年に息子のアルフレッドが経営を引き継ぎ、その後アルフレッドの息子であるルイ、ピエール、ジャックの3人が経営に参加、カルティエの名を世界中に広げました。
1899年には現在も本店があるパリのラ・ペ通りに移転、1902年にはロンドンのニュー・バーリントンストリートにイギリス最初の支店を開店します。
1904年にルイとピエールがロシアを旅行し、現地の宝飾品から多大な影響を受けたジュエリーを製作し始めます。
ブラジルの飛行家サントスが友人のルイに話したことから思いついた、腕時計の「サントス」が製作されたのもこの年です。
本格的に時計製造を始めたカルティエ社は、1907年には時計製造者エドモン・ジャガーと契約を結び、時計のムーブメント製作を依頼します。
1912年にはミステリー・クロック、1917年にはタンクウォッチといった歴史的な時計を製作発表します。
1920年代初頭、カルティエ社のみへの時計ムーブメント製作を行うため、エドモン・ジャガーとの共同会社を設立します。
同時期には、ジャックが代表者となったロンドン支店をニューボンドストリートに移転し、顧客であるインドのマハラジャのための宝飾品を製作します。
1917年には、1909年にピエールが開店したニューヨーク支店を5番街653番地にあるネオ・ルネッサンス様式の豪華な建物に移転します。
1936年には英国王エドワード8世が王位を捨ててシンプソン夫人と結婚し、50点以上ものカルティエの宝飾品を贈ったことが話題になります。
1945年にはピエールがパリとニューヨークの経営責任者となり、ジャックの息子ジャンがロンドン支店の経営者となります。
1964年にピエールが逝去、後継のファミリーの同意によって、カルティエ社が売却されます。
ジョゼフ・カヌイを筆頭とする投資家グループがカルティエ社を購入、1979年にはカルティエ・モンドを設立、買取ったパリ・ロンドン・ニューヨークのカルティエの管理を始めます。
1984年には21世紀の芸術家たちとカルティエの飛躍を支援する「カルティエ現代美術財団」が設立されます。
1993年に設立された「ヴァンドーム・ラグジュアリー・グループ」の傘下となりますが、同グループは’97年にスイスの企業グループ「リシュモン」に吸収され、カルティエ社はリシュモンの保有となります。
【ガーランドスタイル】
1860年に南アフリカで大きなダイヤモンド鉱山が発見され、ダイヤモンドの需要が急激に上昇し始めます。
アール・ヌーヴォー全盛期であった当時、ルイ・カルティエはフランスの17~18世紀のネオクラシックをモチーフにしたデザインを考案しました。
それは細くしたり曲げたりしやすいプラチナ素材を駆使した繊細なデザインで、宝石を置くことによって地金が見えないように作られたものでした。
白いプラチナをレース編みのように細かく細工し、さらにダイヤモンドの白い輝きを活かしたまぶしいジュエリー。
ベル・エポックファッションに合うデザインは「ガーランドスタイル」と呼ばれ世界中の王侯貴族らの間で瞬く間に大流行、カルティエの名を世界中に知らしめることになったのです。
【アールデコ】
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1904年にはガーランドスタイルを崩した幾何学的なデザインを発表、ターコイズやラピスラズリ、サファイアやエメラルドなど青や緑色をブレンドしたジュエリーを製作し始めます。
1910年にはダイヤモンドの白さを引き立てる黒いオニキスを使用、1914年にはブランドのアイコンとなる豹のモチーフを発表しました。
1925年のパリ万国博覧会で「アールデコ」という表現が誕生する以前に、カルティエはすでにアールデコ様式のデザインを確立していた先駆者だったのです。
【インドからの影響】
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1911年にインドを訪れたジャックは、優雅なマハラジャたちの宝石への情熱や、現地で採掘されるルビーやサファイア、そして伝統的な宝飾品に心を打たれ、インドから着想を得たジュエリーを製作し始めます。
ジャック・カルティエがロンドンの支店を引き継ぎ、高級店が建ち並ぶ一等地ニュー・ボンドストリートに移転すると、インドのマハラジャなどの王族が顧客となります。
(パティアラ・ネックレス)
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1928年、パティアラのマハラジャであった、ブピンドラ・シンのために製作したアールデコ様式のネックレスです。
プラチナで作られた豪華なネックレスのセンターには、クッションカットで234.69カラットという、当時世界7番目の大きさを誇っていた「デビアス」と呼ばれるイエローダイヤモンドがセッティングされました。
ネックレスには「デビアス」を含む18から73カラットという大きさのダイヤモンドが合計2930個、さらに最高品質のビルマ産ルビーが贅沢に散りばめられています。
しかし、このネックレスは1948年にパティアラ王室から消失してしまいます。
1998年に、ネックレスの一部がロンドンの中古宝飾店にあるのをカルティエの関係者が発見し、カルティエ社が買い戻します。
ネックレスに配されていたほとんどの大きな宝石が無くなっていましたが、人口宝石やキュービック・ジルコニアを使用して、4年後には本物そっくりのレプリカが製作されました。
(トゥッティ・フルッティ)
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1936年、パリ社交界で活躍したデイジー・フェロウズの依頼で製作されたネックレスです。
インドの宝飾品から着想を得たデザインで、「コリアー・ヒンドゥー」と呼ばれたネックレスですが、当初はネックレスの下半分のみにダイヤモンドとルビー、サファイア、エメラルドが連なり、上半分はモチーフがなくシルクの紐のみがついているデザインでした。
デイジーの死後、ネックレスを引き継いだ長女によりシルクの紐が外され、ネックレス全体にモチーフが飾られました。
(マハラジャの羽根飾り)
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1911年に撮影されたパティアラのマハラジャの写真では、カルティエ作のジュエリーがターバンの周囲に豪華にあしらわれていました。
羽根飾りの前部分はダイヤモンドとルビーやエメラルドがはめられ、後部は色とりどりのエナメルが繊細な技巧によって施されています。
【時計】
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カルティエは世界で初めてといわれる腕時計の発表や、ジュエラーとして時代の先端を行くデザインを取り入れた洗練されたスタイルの時計を開発し続けています。
(サントス)
腕時計サントスの誕生秘話は、1904年にルイが友人であるブラジル人飛行家アルベルト・サントス=デュモンと話していたことがきっかけでした。
サントスが「飛行中に懐中時計を見るのが困難」という悩みを打ち明けたことから腕時計の開発を始め、飛行士に栄誉を讃えて「サントス」と名付けました。
(タンク)
第一次世界大戦中に使用された、ルノー社製による戦車の軌道から着想を得たデザインで、1919年に発表された腕時計です。
(パシャ)
1930年代、モロッコ・マラケシュのパシャ(高官)エル・ジャヴィ公が「自宅のプールで泳ぐときに付けられる腕時計が欲しい」と依頼を受けて製作された、角型防水腕時計です。
【世界の王室に愛され続けるブランド】
カルティエは英国王室御用達ジュエラーとして、ティアラをはじめとする多くの宝飾品を製作、モナコ王妃グレース・ケリーもカルティエの顧客でした。
(エドワード7世)
カルティエを「王たちの宝石商であり、宝石商の王」と称賛した英国王は、1902年の戴冠式の為に27個のティアラ製作を依頼、1904年には王室御用達となります。
(ウインザー公爵夫妻)
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「王冠を賭けた恋」として話題となったのが、エドワード8世と当時人妻であったアメリカ人ウォリス・シンプソン夫人の熱愛です。
シンプソン夫人の離婚が成立後、婚約の報告をするものの国家から反対され、戴冠されることなく父から継承した王位を退位し、結婚する道を選んだのでした。
エドワード8世は妻となったウォリスに、有名になった豹が玉乗りするダイヤとサファイアのブローチなどを含む、50点以上ものカルティエの宝飾品を贈りました。
(キャサリン王妃)
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2011年のウイリアム王子との結婚式では、1936年に製作されたティアラを、2012年のロンドン・オリンピックではカルティエのフープ・ネックレスを着用しています。
結婚3周年記念として、ウイリアム王子からカルティエの腕時計「バロンブルー」を受け取っており、愛用している姿が何度も撮影されています。
(モナコ王妃グレース・ケリー)
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ハリウッド女優のグレース・ケリーが、モナコ大公レーニエ3世から受け取ったのが、カルティエ製の10.47カラットのエメラルドカットのダイヤモンドがあしらわれた婚約指輪でした。
当時人気スターだったグレース・ケリーとレーニエ大公が出逢ったのは1955年のカンヌ映画祭に参加中、モナコのお城での写真撮影のときでした。
出逢ってすぐ惹かれ合ったふたりは、グレースが帰国したあとも遠い距離を隔てて連絡を取り合っていました。
グレース・ケリーはこの頃撮影していた映画「白鳥」で、偶然にも王妃の役を演じていましたが、ある日突然レーニエ大公が彼女の元に訪れます。
公的目的で米国訪問していた大公は、時間の合間をぬってフィラデルフィア州にあるグレース・ケリーの家族を訪問し、3日後にカルティエの婚約指輪とともに正式にプロポーズしたそうです。
グレース・ケリー最後の主演作となった1956年公開の映画「上流社会」では、この指輪を着用しています。
2014年に公開された「グレース・オブ・モナコ」では、カルティエによって、婚約指輪をはじめ、ティアラやネックレスなど多数のグレース・ケリー・コレクションのレプリカが再現され、主演のニコール・キッドマンが華々しく装っています。
【ブランドアイコン~Loveコレクション】
大切な人との愛情を閉じ込めるといった意味のあるデザインで、付属の専用ドライバーを使い、ネジでサイズを合わせて着け外しする、Loveブレスレットは永遠の定番アイテムです。
ローズ、イエロー、ホワイトゴールドの3色が揃うブレスレットは、地金だけのものから色石やダイヤモンドを配したものなどが発表されています。
ブレスレットの他にも、イヤリング、リング、ブライダルなど豊富なコレクションが揃っているので、ペアでコーディネートしたり彼とお揃いにするなど着こなしの幅が楽しめます。
シンプルなので重ねづけするとよりおしゃれに見えるうえに、性別に関係なく楽しめる、飽きの来ないデザインが人気の秘密です。
【有名人による着用】
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カルティエはジュエリー、時計ともに人気があり、海外セレブや国内芸能人などにも愛用されています。
「Loveブレスレット」はダイアナ妃やエリザベス・テイラーから、アンジェリーナ・ジョリー、カイリー・ジェナー、ナオミ・ワッツ、ジェニファー・アニストン、ジャステイン・ビーバーなどが愛用。
安室奈美恵は結婚指輪、若槻千夏は婚約指輪を贈られています。
ドラマ「ドクターⅩ~外科医・大門未知子」では、主演の米倉涼子さんが腕時計「バロンブルー」や「タンクアンクレーズ」、「タンクフランセーズ」を着用、安藤優子アナは「FNNスーパーニュース」で腕時計「タンクフランセーズ」を着用しています。