人気のジュエリーブランド5社の歴史と伝説から愛用セレブまでを一気にご紹介!

ジュエリー

 

ヴァン・クリーフ&アーペル

出典元:http://theinspirationroom.com

 

宝石商の元に生れたアルフレッド・ヴァン・クリーフが、3人の義兄とともにヴァンドーム広場に宝石店をオープン、若い4人の芸術性と新しい発想はたちまち世界中で名声を得るようになったのです。

 

【ヴァン・クリーフ&アーペルの歴史】

出典元:https://www.vancleefarpels.com/

 

パリの5大ジュエラー「グランサンク」のひとつとして世界中に知られる宝飾店ヴァン・クリーフ&アーペルの歴史は、1895年にまでさかのぼります。

 

宝石職人の父を持つアルフレッド・ヴァン・クリーフと宝石商の娘エステル・アーペルが結婚し、1896年にエステルの父とアルフレッドが事業を創立します。

 

1906年にエステルの父が他界、アルフレッドはエステルの兄弟シャルルとジュリアン、ルイの3兄弟とともに、ヴァンドーム広場22番地の店舗を獲得しました。

 

メゾンの最初のブティックとなったこの場所は、向かいにリッツホテルがある一等地でした。

 

その後、モンテカルロやニース、ヴィシー、ル・トゥケ、ドーヴィルなどのフランスの高級リゾート地にブテイックをオープンします。

 

1926年にはアルフレッドの娘レネがブランドの芸術的方向を指摘、アールデコの先駆者でもあった芸術家のルネ・シム・ラカゼをデザイン部門代表として迎え入れます。

 

1930年には、ミノディエール・ヴァニティケースを製作発表、化粧品やカード、ヘアブラシを収納でき、シガレットケース、時計などが組み込まれている持ち運びやすい化粧箱は、メゾンの代表作となりました。

 

1931年には、パリで開催されたコロニアル博覧会に出品したブレスレットが大賞を受賞します。

 

1933年には、独自で開発した宝石のセッテング技術「ミステリーセッティング」がフランスで特許を獲得します。

 

1939年、ニューヨークに米国発のブテイックをオープンします。

 

1966年には、翌年’67年に開催されるイランのファラー・パーレヴィ皇后の戴冠式のために、王冠の製作以来を受けます。

 

1968年、ブランドのアイコンラインとなった「アルハンブラ・コレクション」を発表します。

 

1973年、日本最初のパリ発のジュエリーブランドとして、ブテイックがオープン、’76年にはパフュームの販売をスタートします。

 

1999年には、会社がスイスの企業グループ「リシュモン」の傘下となります。

 

2012年、レコールヴァンクリーフ&アーペル財団による、同名のジュエリーと時計の学校がヴァンドーム広場に開校します。

 

現在、ヨーロッパ、北米、アジア、中東、オーストラリアなど全世界で70店舗以上のブテイックを展開し続けています。

 

【ミステリー・セッティング】

出典元:https://www.vancleefarpels.com

 

メゾンが独自で開発した、宝石を留める爪が見えないという画期的なセッティング方法です。

 

まるで糸のように繊細な、極細のゴールドで宝石を留める方法で、ひと粒の宝石を留めるのに300時間という期間がかかる大変細かい作業です。

 

このセッティング方法は「ミステリー・セッティング」と呼ばれ、1933年の12月にフランスで特許を取得しました。

 

繊細な作業の上に非常に長い時間がかかることから、年間で数えるしか製作されていません。

 

【博覧会で大賞受賞】

出典元:https://www.vancleefarpels.com

 

メゾンが製作発表する芸術的な作品達は、多くの博覧会で賞を受賞しています。

 

(パリ装飾芸術国際博覧会)

 

1925年に開催、パリがファッションの先駆者として世界中で認められ、アールデコが大流行するきっかけとなった国際博覧会です。

 

この博覧会に出品したのは、ルビーとダイヤモンドで装飾された赤と白のバラがモチーフのブレスレット(上の写真)でした。

 

「マシェット」と呼ばれる美しいブレスレットは、博覧会で見事大賞を受賞、世界中にメゾンの名が知られることとなったのです。

 

(国際植民地パリ万国博覧会)

 

1931年にパリで開催された、ヨーロッパ各国の植民地文化や芸術などを展示する20世紀最大のイベントです。

 

この博覧会には、中国の伝統的な帽子を象ったジュエリーセット「シャポーシノワセット」を出品し、大賞を受賞しています。

 

美しく磨かれたゴールドの帽子をモチーフにした洗練されたジュエリーは、2000年にデザインをリニューアルして再発表されています。

 

【世界中の王室が顧客】

出典元:https://en.wikipedia.org/wiki/Empress_Crown

 

ヴァンクリーフ&アーペルの宝飾品は、イランの王室や英国ウインザー公爵夫人など、世界の王侯貴族たちに愛されてきており、グレース・ケリーが王妃であったモナコでは王室御用達ジュエラーに選定されています。

 

(イランのソラヤ王妃)

 

「緑色の瞳のディーヴァ」と呼ばれた絶世の美女イランのソラヤ王妃は、1950年にイラン国王と婚約した際にヴァンドーム広場にあるメゾンで、プラチナとダイヤモンドでできたブレスレット型の腕時計を購入します。

 

ヴァンクリーフ&アーペルの顧客であったソラヤ王妃は、すでに多くの宝飾品を所有していたそうですが、1951年に二人が結婚した後も、国王は夫人に宝飾品を贈り続けたといわれます。

 

7年後には離婚してしまったそうですが、多くの宝飾品は現在もイラン王室のプライベートコレクションとして保存されています。

 

(イランのファラー・パーレヴィ皇后)

 

1966年、翌年テヘランで行われるイランのファラー・パーレヴィ皇后の戴冠式の王冠のデザインが、イラン政府によって募集されます。

 

格式ある有名宝石店から50にも上るデザイン画が提出され、その中から政府が選んだのは、ヴァンクリーフ&アーペルの作品でした。

 

王冠にはイラン中央銀行の宝庫にある宝石を使用することがしきたりとなっており、製作を担当したピエール・アーペルは、中央銀行の地下にある宝庫で数日を費やしながら宝石を選んだそうです。

 

その結果、宝庫室の中にアトリエを設立することになり、厳重なセキュリティの下でデザイナーや職人が作業を行い、およそ6か月の歳月をかけて王冠を完成させました。

 

戴冠式当日、ファラー・パーレヴィ皇后が身につけていたのは、中央に150カラットのエメラルドが配され、周囲には1469粒のダイヤモンドと36粒のルビー、36粒のエメラルド、105粒のパールがあしらわれた、見事な王冠でした。(上部写真)

 

数多くの特別注文を受けてきたメゾンですが、ファラー皇后の王冠は歴史上最も威厳のある注文だといわれています。

 

(ウインザー公爵夫人)

 

「王冠を賭けた恋」として知られる、英国エドワード8世とアメリカ人ウォリス・シンプソン夫人の伝説の恋。

 

離婚歴のあるウォリス・シンプソンと英国王との結婚は許されず、エドワード8世は王位を捨ててまで、彼女と結婚する道を選んだのです。

 

1937年にフランスのカンデ城で行われた結婚式では、メゾンが製作した「エヴァンタイユ・クリップ」を着用しています。

 

ウインザー公爵夫妻となったふたりのために、当時メゾンを代表するデザイナーであったルネ・シム・ラカゼが多くの作品を製作、ウインザー公爵は夫人にメッセージが刻印されたブレスレットやネックレスなどを贈っていました。

 

ふたりの35年間の結婚生活の間、ウインザー公爵は夫人のために多大な数の宝飾品を特別注文したそうです。

 

特別注文で製作されたのは、後にメゾンの代表作となるカデナ・ウオッチやジップネックレス、ミステリー・セッティングのクリップなどといった素晴らしい作品ばかりでした。

 

(モナコ王妃グレース・ケリー)

 

1956年、ハリウッドの人気女優グレース・ケリーがモナコのレーニエ大公と結婚し、世界中の熱いまなざしを浴びました。

 

ふたりは結婚の数か月前にニューヨークのブティックを訪れ、パールのイヤクリップとブレスレット、ネックレス、リングのセットを購入、その3か月後にはメゾンがモナコ王室御用達ジュエラーに任命されます。

 

王妃はブランドアイコンであるアルハンブラネックレスやアニマルクリップなど、多くの作品を所有していました。

 

1978年に行われたカロリーヌ公女の結婚式後の舞踏会で、母であるグレース公妃はネックレスを作り替えたダイヤモンドの王冠を身につけています。

 

グレース公妃の息子アルベール2世大公は、2011年の結婚式でシャルレ―ヌ公妃へ贈るティアラ製作をメゾンに依頼します。

 

形をティアラに変身させることもできる機能的なネックレスは、シャルレ―ヌ公妃によって大いなる海という意味の「オセアン・ティアラ」と命名されました。

 

【米国の富豪たちに愛される】

出典元:http://www.jewelsdujour.com/

 

(マレーネ・ディートリッヒ)

 

1930年代から40年代にかけて、ハリウッド女優のマレーネ・ディートリッヒはメゾンの重要な顧客でした。

 

アーペル兄弟の末っ子ルイと妻のエレーヌと親交の深かったマレーネは、1937年に伝説の「ジャルティエール・ブレスレット」(上部写真)の製作を依頼します。

 

プラチナでできた大ぶりのブレスレットのループの前側にはクッションシェイプのルビーとラウンドとバゲットカットのダイヤモンドが贅沢にあしらわれました。

 

ループの裏側にはダイヤモンドが花びらのモチーフに配され、腕に巻くブレスレット部分にもダイヤモンドがたっぷりとあしらわれました。

 

1950年公開のヒッチコック映画「舞台恐怖症」の中で着用したあとは、戦後の治安状況を考慮し、宝庫に保管してその後着用することはありませんでした。

 

マレーネは「ジャルティエール・ブレスレット」を大変気に入っていたので、他のジュエリーを売却することがあっても、ジャルティエールだけは最後まで手放すことを拒んでいたそうです。

 

マレーネは1992年に他界、その後ブレスレットはサザビーズで競売にかけられ、匿名の収集家によって99万ドル(約1億648万円)で落札されました。

 

(フローレンス・ジェイ・グールド)

 

アメリカの鉄道王の息子フランク・ジェイ・グールドの妻フローレンスは、1930年代の社交界で活躍、コートダジュールでの上流社会を築き上げ、フィッツジェラルドやダリなどが参加した文芸サロンを開催しました。

 

1956年にクロード・アーペルがインドで購入した114カラットの巨大な「ブルー・プリンセス」サファイアが配されたネックレスをはじめ、エジプト模様がエナメルで彩られたシガレットケース「ブリック・ア・ジュール」、ミステリーセッティング法による「ブール・リング」、カクテルを作る材料がモチーフのブレスレット「マルティーニ」など、数多くの作品を特別注文しました。

 

(バーバラ・ハットン)

 

子供の頃両親が他界し、1933年には21歳という若さで世界有数の大富豪として社交界デビューします。

 

「ミリオンダラーベイビー」と呼ばれた彼女は豪華極まりない生活を過ごしましたが、家庭運には恵まれず7回の結婚と離婚を繰り返します。

 

バーバラはメゾンのジュエリーをこよなく愛し、「ダイヤモンド・ディスク・イヤリング」やゴールドをメッシュ編みのように重ねた「ルド・ブレスレット」、トンボの妖精をモチーフにした「スピリット・オブ・ビューティ」などの多くの作品を所有していました。

 

1946年のクリスマスには、友人のためにカフリンクやブローチ、腕時計などを購入しプレゼントします。

 

当時彼女はダイヤモンドが22粒も配された豪華なティアラを特別注文しましたが、ある日ピエール・アーペルが病床で倒れたバーバラの見舞いに訪れたとき、彼女はベッドでもこのティアラを頭に付けていたというエピソードが残されています。

 

【ブランドの代表作】

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ブランドからは、アイコンとなった人気のアルハンブラ・コレクションをはじめとする、自然をモチーフにした作品が発表されています。

 

(アルハンブラコレクション)

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四つ葉のクローバーやハートなどの「幸運」を象徴するコレクションは、1968年の発表以来メゾンの代表作として有名です。

 

(フローラ)

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ロマンティックでフェミニンなフラワーモチーフのコレクションで、フリヴォル、ソクラテス、コスモスなどのラインが揃います。

 

(ファウナ)

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蝶やトンボなど自然界の生き物をモチーフにしたコレクションからは、ドゥ・パピヨン、蝶&トンボ、ヴィルヴォルトなどのラインが発表されています。

 

 

【有名人による着用】

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国内外を問わずアルハンブラコレクションの人気が高く、多くの有名人が着用している姿が見かけられています。

 

(海外セレブ)

 

キャメロン・ディアス…ヴィンテージ・アルハンブラのネックレス

 

マライア・キャリー…マジック・アルハンブラのロングネックレスとイヤリング、蝶のリング。

 

モナコのシャーロット王妃…特別注文された、ターコイズのアルハンブラネックレス(上部写真)。

 

(国内芸能人)

 

蛯原友里…ピンクのアルハンブラ・ネックレス。

 

菅野美穂…イエローゴールドとダイヤモンドのアルハンブラ・ピアス。

 

木村佳乃…赤のアルハンブラ・ネックレスとピアス。

 

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