世界中でその価値を認められている宝飾店では、創立当初から独特の高い技術とデザインを発表し続け、ジュエリー界に革命を起こしてきました。
誰もが知っている憧れのジュエリーブランドの歴史や伝説を知ってみたいと思いませんか?
王室の結婚式や戴冠式用、さらに映画撮影用などといった特別なジュエリーのオーダーを受け、美しさを追求するために絶え間ない努力を続けてきた由緒あるジュエラーたち。
こちらでは、世界に名だたるジュエリーブランド5社に焦点を当て、それぞれのブランドストーリーや宝飾史に残る伝説から、愛用しているセレブまでのお話をお伝えして行きます。
ハリー・ウィンストン
出典元:https://www.galaxymacau.com
幼少時代から宝石商の父の手伝いをしていたハリー・ウィンストンがニューヨークに宝飾店を設立、「キングオブダイヤモンド」と呼ばれ、ジュエリー史に残る多くの伝説を残しました。
【ハリー・ウィンストンの歴史】
ハリー・ウィンストンが生れたのは1896年、両親は移住先のアメリカで小さな宝石店を経営していました。
子供の頃から宝石店の手伝いをしていたことから、自然と良い宝石を見極める目ができたといわれていますが、その最もたる伝説がひとつ語り継がれています。
ハリー・ウィンストンが12歳の頃に近くの質屋でたった25セントのガラス玉のようなものを入手、その2日後にはこのガラス玉が実は本物の2カラットのエメラルドであり、両親の宝石店で800ドルで売却されたということです。
15歳で学校を卒業した後ロサンジェルスにある家業の宝石店を継ぐ決意をし、1920年にはニューヨークで本格的にビジネスをスタート、’32年にはニューヨーク5番街に「ハリー・ウィンストン」として最初のショップをオープンします。
この頃から大富豪の宝飾コレクションや世界有数のダイヤモンドなどを購入して、収集を始めていたそうです。
その後ハリウッド女優にジュエリーを貸し出すという風習を作り上げたり、独自のダイヤモンドセッティング方法を生み出したりなど、米国のジュエリー界に革命を起こし続けました。
1978年にハリー・ウィンストンが逝去、ふたりの息子が後を継ぐことになります。
1988年には日本初のショップが銀座にオープン、その後時計製造にも進出し、スイスのジュネーブに製造工場を設けます。
2013年にはスイスの時計製造業「スオッチ」に吸収され、実質の経営権はスオッチに移動しています。
【キングオブダイヤモンドの異名を持つ】
出典元:http://www.harrywinston.com/
ハリー・ウィンストンは宝石に対する独自の美学があり、「ジュエリーが美しいのは宝石そのものが美しいから」という信念を持っていました。
そんな彼だからこそ生み出すことができた、革新的なジュエリーのセッティング方法は、どこにでもある自然の植物から発案されたのです。
ある年のクリスマスの夜、ニューヨーク郊外にある自宅の玄関のドアに飾られたクリスマス・リースを見た瞬間、ふとその美しさに目を奪われます。
リースに装飾されたヒイラギの葉が風で揺れるのを見て、ジュエリーのデザインアイデアが浮かんだのです。
そのアイデアとは、地金が目立つことなく、異なるファンシーカットのダイヤモンドが連なるように見えるセッテングの方法です。
いくつかの葉を違う方向から連なるように並べ、柔らかな曲線が揺れるような立体的なジュエリー。
そうして誕生したのが、有名な「クラスター技法」と呼ばれるセッティング方法です。
上から見ると、ダイヤモンドでできた花や葉がそのまま揺れ動くように作られています。
あらゆる角度からセッテングされたダイヤモンドは、輝きを隠さずに存分に発揮することが可能となり、この技法を考案したハリー・ウィンストンは「キング・オブ・ダイヤモンド」との異名を持つようになります。
クラスター技法はハリー・ウィンストンのブランドを代表する独自のセッティング法として有名になり、現在もクラスターコレクションとして美しい作品が発表されています。
【スター達のジュエラー】
出典元:http://en.worldtempus.com/
アカデミー賞のレッドカーペットを歩くハリウッド女優たちへの注目の的となるのが、彼女達がつけている美しいジュエリーの数々です。
ファッション誌やSNSではハリウッドセレブたちが華やかに装った写真が公表され、どのブランドジュエリーをつけているといったことが必ず話題にあがりますよね。
現在では当たり前となってしまったこの風習を始めたのは、実はハリー・ウィンストンだったのです。
最初にジュエリーを貸し出したのは1943年、オスカー最優秀女優賞を受賞したジェニファー・ジョーンズへのダイヤモンドジュエリーでした。
美しいダイヤモンドジュエリーをまとうハリウッド女優の姿はアカデミー賞での注目を浴び、この伝統が一気にレッドカーペット上に広がるようになります。
これ以前の1930年代にも、726カラットという大きなダイヤモンド「ヨンカー」を所有していたハリー・ウィンストンは、ヨンカーを持ったハリウッドスターたちの写真をメディアで紹介していました。
こうして輝かしいハリウッドセレブたちとダイヤモンドという関係を築いたハリー・ウィンストンは、瞬く間に「スター達のジュエラー」と呼ばれるようになったのです。
【ハリウッド映画で使用される】
出典元:http://en.vogue.fr/
レッドカーペットで華々しいデビューを飾ったウィンストン・ジュエリーは、ハリウッド映画やテレビドラマの中でも使用され、スクリーンを優雅に彩るもうひとつの主役となりました。
1946年に公開されたヒッチコックの「汚名」では、イングリッド・バーグマンがクラスター技法で製作された葉のモチーフのネックレスを着用しました。
出典元:https://www.trufauxjewels.com/
1967年公開の「卒業」では、ミセス・ロビンソンを演じたアン・バンクロフトがマーキスシェイプ・ダイヤモンドの婚約指輪を着用しました。
1996年公開ウッディ・アレンの「世界中がアイラヴユー」では、ハリー・ウィンストンの店内でミュージカルを繰り広げるシーンも撮影されています。
出典元:https://listen2uraunt.wordpress.com
2003年公開の「10日間で男を上手にフル方法」では、主演のケイト・ハドソンがイエローカラーで84カラットの「イサドラ・ダイヤモンド」を着用しました。
出典元:http://cocosteaparty.com/
なんといっても有名なのが、映画「紳士は金髪がお好き」で主役を演じたマリリン・モンローが歌う「ダイヤモンドは女の子のベストフレンド」ではないでしょうか。
出典元:http://screenprism.com/
「私にダイヤモンドの全てを教えて!ハリー・ウィンストン!」という歌詞が印象的なシーンでは、ピンクのドレスに豪華なジュエリーをまとって歌う姿がたまらなくキュートですよね。
【呪いのホープダイヤモンドを所有】
出典元:https://www.smithsonianmag.com/
ハリー・ウィンストンは、数多くの世界有数のダイヤモンドを所有してきたことでも有名です。
その中でも特に有名なのが、「呪いのホープ・ダイヤモンド」という45.52カラットのクッションカットのダイヤモンドで、珍しい青色をしています。
ホープの歴史は古く、1812年にインドで採掘されたあとヒンドゥー教の神の銅像に装飾されていたものが盗難に遭ったものだといわれています。
1666年にフランスの宝石商人タヴェルニエがインドに渡航、何らかのルートで原石を入手し、フランスに持ち帰った後にカットされます。
2年後にはフランスのルイ14世が購入し王室宝飾品として装飾されます。
しかし、宝石を売ったタヴェルニエは熱病に侵されて急死、国家の財政は悪化してフランス革命が起こる原因となります。
このダイヤモンドを受け継いだルイ15世は天然痘で命を落とし、後継のルイ16世の王妃マリー・アントワネットは絞首刑への運命をたどります。
当時フレンチ・ブルーと呼ばれていた大きなダイヤモンドは、その後盗難に遭い行方不明になりますが、どうやらイギリスに密輸されていたようです。
青いフレンチ・ブルーは謎のルートをたどって英国王ジョージ4世の手に渡ったといわれていますが、定かではありません。
1830年にはロンドンの銀行家のヘンリー・ホープ氏が購入、彼の死後ダイヤモンドを引き継いだ孫が破産し、結婚生活も破綻します。
ダイヤモンドはヘンリー・ホープの兄トーマスの名で購入され、トーマスの死後は彼の未亡人が身につけることもあったことなどから、一族の名前を取って「ホープ・ダイヤモンド」と呼ばれるようになりました。
この後米国の富豪マクリーン夫人が所有しますが、息子が9歳のときに自動車にはねられて亡くなり、娘は自殺、夫はアルコール依存症という不幸に見舞われます。
マクリーン夫人が亡くなったあと、ハリー・ウィンストンが購入しコレクションとして所有していました。
ハリー・ウィンストンは「宝石の宮廷」と題したツアーで米国中を渡り、ホープダイヤモンドを代表する自身のコレクションの展示会を開催しました。
その後、ホープダイヤモンドは米国スミソニアン博物館に寄贈され、現在も特別室で展示されています。
【有名なダイヤモンドをコレクション】
出典元:https://imgur.com/
(写真:1958年10月、スミソニアン博物館にホープダイヤモンドを寄付したエドナ・ウィンストン夫人)
世界有数のダイヤモンドを収集していることで知られるハリー・ウィンストンは、これまでに「ホープ・ダイヤモンド」を含む30個以上の有名なダイヤモンドを多数所有してきました。
《The Jonker (ヨンカー)》
出典元:http://www.jewago.com/
1934年に南アフリカで発見された726カラットの巨大な原石を、所有していたダイヤモンド・コーポレーションから1935年に買取ります。
ハリー・ウィンストンは、原石のカットをニューヨークのカット職人ラザール・キャプランに依頼、ヨンカーは13個に分割されます。
一番大きい142.90カラットのヨンカー1はエジプト王に売却され、他の12個は米国人やインドのマハラジャが購入しました。
《The Oppenheimer(オッペンハイマー)》
1964年に南アフリカで発見された、253.7カラットの黄色い原石です。
原石が発見されたすぐ購入したハリー・ウィンストンは、ダイヤモンド鉱山デビアス社代表であった故アーネスト・オッペンハイマー卿への記念として、スミソニアン博物館に寄贈しています。
《The Vargas Diamond(ヴァルガスダイヤモンド)》
出典元:http://toni-bijoux.com/
(注:写真はヴァルガスⅠのレプリカです。)
1938年にブラジルで発見された原石は、726.6カラット(145.32㎏)という巨大なサイズで、産地であるブラジルのヴァルガス前大統領に敬意を表して「ヴァルガス」と名付けられました。
アムステルダムへ売却された原石をハリー・ウィンストンが購入、その後29個にカットされ、最大のものは48.26カラットのエメラルドカットのヴァルガスⅠと呼ばれました。
ヴァルガスⅠは1944年に売却されますが、1958年にウィンストン社が再購入し、その後44.17カラットにリカットされ、1961年には再度売却されています。
他のヴァルガスもオークションに出品され、高額で落札されています。
【代表作】
出典元:http://www.harrywinston.com/
キング・オブ・ダイヤモンドと呼ばれるハリー・ウィンストン・ジュエリーの特徴は、何といってもダイヤモンドの美しさです。
最高品質のダイヤモンドを使用し、自然の持つ美しさが存分に生かされるよう、綿密なデザインと高度な技術で時間をかけて製作されています。
数多く発表されているジュエリーラインの中でも、特に独自が開発した「クラスター技法」を使用した豪華なクラスター・コレクションは、ハリー・ウィンストンの代表作として知られています。
あらゆる角度から光を吸収して反射し、ダイヤモンドが最も美しく輝くようにセッテングされた華々しいジュエリーが揃います。
(クラスター・コレクション)
- ウィンストン・クラスター
- ピルエット・コレクション
- スパークリング・クラスター
- リリークラスター
- ロータスクラスター
(人気ジュエリーライン)
- HRロゴ・コレクション ブランドのロゴをあしらったもの
- アールデコ・コレクション 店舗の建築様式である幾何学的デザイン
- フォーゲットミーノット 花のモチーフ
- サンフラワー ひまわりのモチーフ
それぞれ最高品質のダイヤモンドを使用した、ハリー・ウィンストンならではの個性ある華やかなコレクションを発表しています。
【国内芸能人の婚約指輪】
出典元:http://www.harrywinston.com/
国内では多くの芸能人が婚約指輪としてハリー・ウィンストンのダイヤモンドを選んでいます。
- 石田純一から東尾理子へ ハートクラシック(1500万円ほど)
- 小栗旬から山田優へ 2カラットの指輪(1000万円ほど)
- DAIGOから北川景子へ ラウンドクラシックリング(1000万円ほど)
長谷川理恵、小倉優子、酒井彩名、荒川静香などもハリー・ウィンストンの婚約指輪を贈られました。